どうして平均値だけを問題にするのでしょうか?
いま、お米の値段が高いことを問題にする際に、政府やマスコミは店頭販売価格の平均的な値段が幾らになったかを問題にしています。しかし、お米のような生活必需品は平均的な値段が幾らかを問題にするだけでなく最低価格が幾らなのかを把握することとが大切ではないかと私は考えます。何故なら、値段が高くても美味しいお米を食べたいという人もいる反面では、生活に困窮して少々不味くても少しでも安いお米を食べたいという人もいます。また、ご飯の炊き方や料理の仕方でお米の味は変わります。私は、生活の必需品目(衣食住)は価格の選択肢が幅広く、生活困窮者でも入手できる価格帯があることが必要と考えます。また、美味しいお米を手間暇かけて作りたいという農家もあれば、うちの田圃で美味しいお米を作るのは無理だから安いお米を沢山作りたいという農家もあると思います。価格差のあるお米の平均値をもって「食の自給率」を問題にするのは少々間違っているのではないかと疑問があります。最終的に農家にとってどちらの選択が正しかったのかは消費者(市場)が決めることではないでしょうか?
さて、お話しが私の本業とはズレてしまっているようですが、従業員の処遇(特に賃金)を検討するときにも同じようなことが言えるのではないでしょうか? 平均値ではなく最低処遇の従業員が問題なのであり、検討すべき事項ではないでしょうか?よくある例ですが、平均値を問題にしていたら、実は給与の分布が就職氷河期世代がいる為に2コブ・ラクダで全体の平均値を問題にしていると実態の改善に結びつかなかった事例があります。その為、全体を俯瞰してみることが大切です。また更に、社長が従業員の給与は高い方が良いだろうと考え、受注量を増やした結果として残業時間が大幅に増えてしまい、従業員は給与が増えることよりも残業時間が減るコトで自分の時間が確保できることを望んでいた例もあります。その為、先入観や思い込みを忘れ全体を俯瞰して実態を把握し、従業員が何を望んでいるかを社内サーベイすることが大切だと私は思います。